お金や学歴、または輝くような社歴があったとしても、それさえあれば幸せであるとは、簡単には言い難いものです。人生において、真に豊かに、笑顔で生きるということは、いったいどういうことなのでしょうか。一躍ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい』の著者である渡辺和子著『どんな時でも人は笑顔になれる』 より、大切にすべきことを見失うことなく、本当の意味で心豊かに生きるちょっとしたヒントをご紹介します。
一見無駄な時間にこそ価値がある
愛を込めた時間は、無駄にはならない。
<058ページより引用>
2016年に逝去した著者は、キリストの教えをベースにしながら、現代を生きる人たちに向けて、たくさんの励ましと示唆を与え続けてきました。
本著は、著者が亡くなる10日前に校閲したという文章も掲載されている遺作に当たるといいます。その中には、「愛を込めた時間は、無駄にはならない。」というメッセージが記されています。
著者曰く、自分は物事の飲み込みが遅い部分があるものの、いったん覚えたら仕事は早いという一面があるのだとか。あるとき、著者の母がこのように言ったのだといいます。「和子、速いばかりが能ではありませんよ。あなたの仕事は速いけれども、ぞんざいです」。その母は、決して手の早いタイプではなかったものの、母が縫ってくれたものは決してほつれることはなく、母が結んだ風呂敷包みは不思議にも途中で解けるようなことがなかったのだといいます。そこには、年季が入ったコツと同時に、心や愛情が込められていたのだと、今になって思いだすのだと著者は語ります。
お金にならない時期、得にならない時間。ある意味では、人生において無駄のように思える時間の中にしか、愛情は育たないのかもしれません。スピードや簡便さに価値を置かれる現代において、待つことの大切さや無駄な時間の中に価値を見出す尊さ。
たとえ、思ったような結果が出なかったとしても、それは無駄なことではないという真実が少しわかる気がします。
自分の心の「聖所」を大切に育てる
砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから。
<129ページより引用>
『星の王子さま』の中に登場する一シーンに、王子が砂漠に水を求めに行くというものがあります。王子があてどなく歩いていると、砂漠は月の光を受けて美しいということに気づきます。そして、「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」と王子は語ります。そのシーンを通じて著者は、人間も同じであると話します。
人は表面に現れない「井戸」を、心の奥深くに持っていると美しくなるのだとか。それは、他人に言えない秘密を持って生きるということではなく、自分自身の存在の奥深いところの一つに「聖所」と呼べるようなものを持ち、年とともに大切に育てていくということ。そこには、他の誰も踏み込ませない自分の心の部分であり、どんなに信頼した人から裏切られて苦しい状況であったとしても、そこに逃げて自分を取り戻す。やがて、立て直すことができる場所であるのだとか。
人間理解というものは、「人間は理解し尽くせない」という前提のもとにのみ可能であり、孤独な人々が互いに理解しあっていこうとするときに、真の愛が生まれると著者は語ります。
自らの「聖所」を大切に育てて、相手の「聖所」にもおいそれと踏み込まない。そんな、丁寧な生き方をしていきたいものです。
本当の豊かさを見失わない人生を
著者が初めてマザー・テレサに会ったのは、1981年の初来日のこと。その講演で著者は、マザーのこんな言葉が記憶に残ったといいます。「私のカルチャーショックといいますか、日本の第一印象ですが、とても綺麗ですね」。「きれい」という部分をprettyという言葉で表現したマザーは、ずいぶん険しい顔をしていたのだといいます。
そして、どんなにきれいな家に住み、きれいなものを持っていても、愛がなければ貧しいのだとマザーは続けたのだとか。きれいな家に住んでいても、夫婦や親子でいたわり合いを持って暮らし、微笑みかける時間がそこになければ、インドのカルカッタで泥の小屋に住んでいる家族たちよりも貧しいという真理。
それは、現代を生きる私たちの生き方にも、大いに通じるところでしょう。
形や見た目ではない、本当の豊かさを見失わない人生を歩んでいきたいものです。
タイトル: どんな時でも人は笑顔になれる
著者: 渡辺和子
発行: PHP研究所
定価: 1,080円(税込)